teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名 ※管理者の承認後に掲載されます。
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. 足あと帳(0)(管理人)12/05/29(火)12:06
スレッド一覧(全1)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


子供たちとの出会い

 投稿者:管理人  投稿日:2013年12月20日(金)23時02分33秒
返信・引用
  17歳(18)から何気ない子供たちとの出会いをきっかけに、約30年の様々な形での子供たちとの関わりを、特に形式を定めることなく、暇をみて綴っていけたらと思って居ります。

気長にお付き合い下さいますよう心からお願いいたします。

私は高校生の頃、サイクリングが好きだった。埼玉県所沢市の自宅より早朝に出掛け、目指すは秩父連山の高麗。道のり3時間ほどの山あり谷ありの難所を何度となく走った。
朝の新鮮な空気と優しい緑。そして、川のせせらぎ・・・。
疲れた手足と喉を冷たい水が癒してくれる。
一ヶ月に一度は秩父の山並みを目指して走っていた私。
朝食はあらかじめ用意していたおにぎりを頬張り、昼食には周辺から焚き木や石を集めてきて飯ごう炊飯を行なった。
それがサイクリングでの何よりの楽しみでもあったのだ。
そんなある日のこと・・・。
私が飯ごう炊飯をしていると、3人の子供たちが遊びにやって来た。小学校高学年といったところだろう。何やら離れたところでわいわい遊んでいる。
別に気にすることもなく、私は次々と調理に取り掛かって、昼食の準備をしていた。
天気もよく清々しい。
青々とした木々や川の水の流れの中に、少々、不釣り合いなもくもくと立ちのぼる煙が目に沁みる。
そろそろ、ご飯が炊けたかな??そう思って動き始めた頃だった。
しばらく遠方で遊んでいた子供たちは次第に至近距離まで近づいていた。ただ、この時点では視線は感じながらも、何事もない装いでわいわいと何やらやっている。
私は飯ごうの火加減や野菜などを水洗いして、皮をむき、ぶつ切りにして調理の準備を進めている。
ある程度の工程が進み、肉や野菜を炒め始めると、子供たちは遠慮がちな顔をしつつ声をかけて来た。
小学6年生の男の子3名と、途中から遊びに来た妹という小学3年生の女の子。私を併せて計5名だ。
子供たちは何気ない話をしながらも、関心があるのか珍しいのか?小枝を一本火にくべたりと動きを見せ始めている。次第に焚き木を拾いに行ったり、落ち葉を沢山運んで来たりと、打ち溶け込んでいった。
この日のメニューはカレーライスとフレンチサラダだ。いつもと案配は変わらない。定番といっていい。
しかし、今日の味付けは3年生の女の子の味付けだから微妙に違うと思う。カレーやサラダの具材にしても大胆だ。大きかったり小さかったり、皮の付いたのもある。
材料はいつも多めに用意してあるので、5名の軽食程度には十分・・・。
子供たちに一緒にたべるかどうか尋ねると、ちょっと遠慮がちにそれでいて嬉しそうに食べるとのことで、早速にビニールシートを敷き、皆で昼食を楽しんだ。
食事が終わると、子供たちは自ら片づけを始めた。流石に高学年だ。勿論、女の子も率先して洗い物をしてくれた。
男の子たちは、飯ごう炊飯や料理で活躍してくれた大柄の石の囲いを、一つ一つ重たそうに川原の端に運んで、ビニールシートをたたみ、ゴミなどを片付けてくれた。
そして、川で沢カニなどを見つけたりして遊んだ後に子供たちの提案で、周囲の散策に出向くことになったのだ。それは、私が所沢方面からサイクリングに来たとのことで、地元である子供たちは周囲を案内したいという意図があった。
自然豊かな山並みを歩いて、所々で足をとめて、虫を捕まえようとしたり・・・。秘密基地に案内されたりと・・・。
時が去るのを忘れるような感じで一時を過ごした。
そして、いつもより明らかに時間オーバーし、この時点で4時。帰宅して自宅に到着するのは早くても7時過ぎと予想される。
子供たちと途中まで一緒に帰り、家の前でバイバイする筈だったが、「ちょっと待ってて」の一言が思いもよらぬ話の展開となったのだ。
親御さんが出て来られて、我が家で一服していって欲しいというのだ。初対面でもあることと時間もなかった私は丁重にお断りをしたのだが、田舎の方のかたは人情深いというか、半強引に立ち寄らせて頂くことになってしまった。
そして、簡単に自己紹介などした上で、今日の出来事など子供たちからも交えながら話をして1時間程で失礼したのだが、これからもサイクリングなどに子供たちを誘って欲しいということを最後に言われ、少々、耳を疑ったのが正直なところ・・・。
初対面にも関わらず、今後も宜しくとのことで結果的に、お互いに連絡先まで取り交わし、この地を後にした。
自宅に着いたのは8時をまわっていた。暗い山道をしばらく走っていたのだ。
私がサイクリングに出向く時には、必ず子供たちに連絡を入れ、都合がお互いにつくと一緒に行くことになった。
私は既に道のり3時間を走らないと子供たちの住む場所には行けないのが壁となったが、そこから1時間程度のジュニア向けといっていいコースは沢山ある。
飯能や芦ヶ久保・正丸峠方面・・・。更に進めば奥秩父だ。
同じ場所であっても、少々、方向を変えれば山・川・お寺・神社など名所は沢山存在する。だから無限に出来ることもあるのだ。
時にはアスレチックなどにも立ち寄り、一日を過ごしたりと色々な思い出を心に綴った。
私が公務員職が決まり、神奈川の地に移住することになってからは、その子たちとはしばらく手紙のやり取りをしていたが、お互いに忙しいこともあり、思い出のみが残された。

神奈川に来てからは直ぐに社会福祉協議会とボランティア協会・青少年育成活動センターに個人登録をし、早速の出発進行になったのが学童保育所指導員。
夏休みのみとの依頼であったが、子供たちにもすっかり気に入られてしまい、夏休み以降も継続的に実施することに・・・。
学童が出来てまだ新しく、指導員不足のためのボランティア募集とは聞いていたが、話よりも現実はかなりのものだった。
坂・坂・坂・・・。やっと辿り着いたところにはトタンの錆だらけの一軒家。子供たちの集う場所なので、ある程度は広く、騒いでも近所に迷惑になるようなことはないが、何しろ古いし暑いし、正規指導員(先生)は一人だけとのことで大変。
まだ、この当時は学童保育所というものが地域に定着していないような頃で、同じ思いをもった親たちが立ち上げて、市などに対して補助金を求めて署名活動などをしているような時代だったので今では考えられないような施設環境であった。
今は当たり前のように学童保育所はいくつも存在するが・・・。
さて、夏休みから指導員ボランティアとして入った一日目は早速にもお泊り会だった。あまり道にもなれていない中で、子供たちを引き連れて買い物に出たり、銭湯に連れて行ったり、花火をするために近くの公園に行ったりと目まぐるしい忙しさだった。
通常は少ないらしいが、夏休みは、夏休みだけ預かる子供たちもいるため、男の子と女の子併せて20名。
夕方からは保護者の方も仕事から帰られて手伝いに入るが、まだ不慣れなこともあって大変だったことを記憶している。
しかし、その記憶の中には大変だったが、今までに経験したこともないほどに、多くの子供たちと沢山の行事を通して関われたことは言うまでもない。
一緒に買い物に行き、お風呂に入り、花火をしたり・・・。その間には泣いたり笑ったりと子供たちの表情は豊かだった。
夏休み中は朝から夕方までと長い。だから、プールをはじめ、近くの公園にお弁当を持ってハイキングに行ったり、図書館や博物館・海水浴・そして、時には電車に乗ってお出掛けすると行ったことも・・・。
ただ、指導員不足とのことで、ボランティアである私が一人で鍵開けから始まり、子供たちの保育(連絡帳記入・おやつ作り)までの一切をやらなくてはならないことも度にあった。
たまたま私も高熱を出してしまったが、私一人で入所しなければならないため、元気なふりをしながら子供たちの相手を一日こなしたことも今では良き思い出に・・・。
私も20代前半で若かったから無理も利いたなと改めて思った。
そんなこんなで、夏休みも何とか乗り切り、子供たちも10名程度になって平常の学校が終わってからの保育に・・・。
正規の指導員(先生)も結婚されるたもに入所される日もポツリポツリとなり、新たな指導員が決まるまでは、私の夜勤明け・非番の休みは私が一人で入所。私が仕事の日は、保護者の方が仕事を順番に休んで臨時で入所されるなど、大変な時期もあった。
逆に言えば、その頃が一番いろいろな出来事があり思い出深いのかも知れない。
しばらくして、新しい指導員が入られ、私の入所も週ニペースぐらいになると、今度は自立支援施設でのサポーターと、障害をもった子の散歩介護に車椅子介助・・・。
土曜・日曜日は小学校校庭の開放日で、管理者の方と共に校庭内の清掃をしながら子供たちに誘われると野球やサッカーなどの相手をしたりと活動の場が広がっていった。
休みの日で自宅にいても、子供たちが遊びに来るのは頻繁。近所の子は、夜にパジャマでひょこっと現れ、言いたいことをいって、やりたいことをパッとやって「じゃーね」と気軽に立ち寄れる関係に・・・。
この時代は学校そのものも今に比べると開放的だったのかも知れない。そんなに防犯・防犯と騒がれるような時代でもなかったし、親もモンスター・・・なんて呼ばれるほど理不尽なことをいうような人もいなかったように思う。
世の中を大きく変えたのが幼女誘拐連続殺害事件(宮崎事件)だったかと・・・。私が学童保育指導員をやっている時の父母会でも、話によく出たのがこのニュースだったと記憶している。
この頃より次第に、親も子も知らない人とは口を利かないというような雰囲気が出来てきて、大人をみたら不審者と思え(極論)のような淋しい世の中に突入していった。
私は何よりも信頼関係を第一に考えてやって来た。
学童保育指導員の先生ということで、近所も皆が知っていたので、先に述べたとおり周囲の子供たちは気軽に遊びに来たり、泊まっていったり、はたまた私がお呼ばれして、泊まりながら子供のお宅にお邪魔するなど懐かしい思い出が沢山刻み込まれている。
 
 

思い出のアルバム【はじめに】

 投稿者:管理人  投稿日:2013年12月 9日(月)22時15分52秒
返信・引用
  先ず始めに写真と動画で紹介したいと思います。

http://youtu.be/vbgRnzZyoW4

http://youtu.be/WoJSa72JU3c

http://youtu.be/PA2LzesquwQ

http://youtu.be/kwQt6qiESNk

http://youtu.be/ApBqAYj18bQ

http://youtu.be/qItSs9Zns5g

ボチボチ更新していきたいと思います。問題があれば管理者宛に報告して下さい。

 

レンタル掲示板
/1